2014年1月25日土曜日

ぶらりまち歩き 天文館編

今回は、鹿児島ぶらりまち歩き
“よかおごじょ”のわくわく天文館まち歩き!コースに参加しました。
天文館は中央駅エリアと人気を二分する鹿児島の繁華街ですが、
今回は街中に残る歴史の移り変わりをたどりました!

中央公民館

















昭和2年に鹿児島市公会堂として開館しました。
戦争による被害が多かった本市では貴重な古い建物ですが、やはり戦時中は爆弾が落とされたそうです。
しかし、内部では火災が発生したものの、外側は無事だったそうで、修理・改修をしながら使用され、平成17年には国の登録有形文化財に指定されました。
平成24年から1年ほどかけて行われた改修工事により、外観はそのまま、エレベーター設置されるなど設備がよくなり、内部はきれいになり、さらに使いやすくなりました。
利便性・実用性と歴史的・文化的価値が両立する、魅力溢れる公民館です。 

西郷銅像



















鹿児島のシンボルといえばこちらの西郷さんですが、意外とじっくりと眺めたことはなかったように思います。東京の西郷さんが私たちの2倍の身長であるのに対し、こちらは3倍だそうです。
銅像が立っている基礎石には、根占から運ばれた石が使われています。また、築山の中に立つ銅像は珍しく、背景の城山と一体となり、遠くから見ると山の緑の中に西郷像が立っているように見えるよう工夫されているそうです。
私たちにとってもっとも身近な西郷さんでしたが、初めて知ったことがたくさんありました。緑が美しくなる季節を楽しみに待ちたいと思います。


























西郷銅像の道路向かいの記念撮影スポットに置かれたお犬様(愛犬ツン)。
一昔前は無かった気がしますが、いい味出してます(笑)
なんと、休日にだけお目見えするそうです。ぜひ一緒に写真をとってください!

探勝園
























 照国神社横の三公像の一つ、島津斉彬の銅像ゎ大正6年に建立。斉彬公ゎ造船、製鉄、紡績、ガラス等さまざまな事業に取り組みましたが、外の技術をそのまま 運用するのでゎなく、今まである自分たちの技術の中に新しいものを取り込み、自分たちのモノにしてから運営していったからこそ次世代にも残る薩摩力が出来 たようです。その姿勢ゎ今の私たちにも通じることですね!

護国神社頓宮



















照国神社の北東、照国大明神こと島津斉彬像と探勝園の間に、味のある風合いの社が佇んでおります。
なんとそこには「護国神社」の表札が。
初詣の時期には照国神社と1,2を争う集客力のある護国神社。
現在は草牟田地区にあるのですが、かつてはここに鎮座していたとのことです。
護国の名のとおり、国事に殉じた英霊を祭った神社なわけですが、時代とともに場所と名前が変わり、祀られる神様の現世での呼び名まで変わってきました(殉職された自衛官・警察官・消防士等が祭られています)。
当然といえば当然なのですが、神社に歴史あり、と嘆息するばかりです。
なお、お隣の照国神社の場所にも、廃仏毀釈の前は南泉院(現在は花尾町にあります)があったとか。
持論ですが、神社が神社らしくあるためには、あわただしい人間の営みから隔絶した、恒久性を感じさせる穏やかさと、同時に少し張り詰めた空気を具えている必要があると思います。「凛として変わらない感じ」が、神社の聖性の肝なわけです。
実は結構な変化変遷の経緯があり、けして恒久的であったわけでないのに、それを礼拝者に感じさせない神社たち(そして、気づかない私)。いったい何がそうさせるのか、実に不思議なものです。

照国神社鳥居


















 この写真の中の小さい黒丸を見つけられますか。
 この鳥居は照国神社の鳥居で、平成19年に改修した際に、わざと付けられた印だそうです。昭和4年9月に建てられ、昭和20年の鹿児島市一帯が焼け野原 になった終戦末期の一連の空襲で機銃掃射を浴びた弾痕の跡(直径、深さとも約10センチ)を、戦争の記憶をとどめる証拠として残されてきました。しかし、 時の経過とともに、塗装部分が浮き上がって落下する危険性があったため、埋め戻すことになったそうですが、せめてここに弾痕の跡があったことを残そうと印 をつけたそうです。

照国神社交差点






















照国神社前の交差点は、国道3号線、10号線、225号線の3本の国道が交わる珍しい交差点です。中央公園側に、それを示すオブジェがあります。普段は気付かずに通り過ぎてましたが、ふとしたところに珍しいものはあるんですね。

ステンドグラス




















 天文館のメイン通りから一本外れた筋のアーケード内。
普段は前しか見て歩かないところだが、ふと上を見上げるとそこにはきれいなステンドグラスが。
1549年、フランシスコ=ザビエルがキリスト教の布教のために鹿児島を訪れた。
その歴史がなんとも美しく描画されたステンドグラスは一見の価値あり。

天文館一帯

















天文館一帯は武家社会であった江戸時代まではそれぞれ3,000坪くらいからなる4つの大きな武家屋敷で占められたそうです。
現在の多数のお店がひしめく状態からは想像できません。
しかし、明治維新によって武家社会から明治の近代政府に変わったことから、大きな武家屋敷も縮小、分譲されていき、今のような商業区画になっていたそうです。

 ゴンザ通り GONZA st.


















世界で初めて露日辞典を作った青年ゴンザの名をつけた通りです。
1728年、薩摩藩主の命で鹿児島から大阪に向けて17人の乗組員を乗せた船が出港。
しかし、途中嵐に遭い6か月も漂流、たどり着いた先はなんとロシア領カムチャッカ半島!
生き残った乗組員はロシアの首都ペテルブルグへ送られました。
そのうちの一人がゴンザ!
ペテルブルグで女帝アンナに謁見し、気に入られたゴンザは、日本語学校の教師となりました。
そして彼は世界で初めて露日辞典を作ったのです。
(実際は日本語というより鹿児島弁が満載の露薩辞典だったそうです☆)



山形屋
















県民が愛してやまないデパート山形屋。
その歴史は古く、創業は1751年、なんと263年前です!!
店名の由来は、創業者が山形県の呉服商人であったためだそう。
写真はおなじみの「山形屋名物焼きそば」。
7階のファミリーレストランで食べられます。
右がレギュラーサイズ、左がミニです。
揚げためんに、野菜たっぷりのあん、お酢をかけていただきます。
年間18万食の注文があり、県民の味として愛されています。
「七草会」は、百貨店友の会の草分け。
満会特典として、以前は歌舞伎の観劇券が配られることもあったそう。
「鹿児島市建築文化賞」を受賞した外観も、街並みと調和して素敵です。



今回は2時間をかけて天文館の歴史の跡をいろいろ案内していただきましたが、ここには書ききれないくらい、また今回は巡りきれなかったくらい色々な秘密があるようです。
鹿児島ぶらりまち歩きでは、市民客か外来客か、またガイドさんによってもコースが微妙にかわってくるようです。
今回は市民客としてまち歩きをして、普段利用する天文館がぐっと思い入れ深い場所になったと思います!