「せごどんのえんこ(西郷どんの遠行)」が開催されます。
9月のまちあるきでは、この「せごどんのえんこ」に参加してきました。
毎年この時期に開催されるのには、ちゃんとした理由があります。
翌日9月24日が西郷隆盛の命日なのです!
「秋分の日が毎年祝日だから」「ハイキングにちょうど良い気候だから」なんていう
俗な事情によるものだけではないのですよ。
俗な事情によるものだけではないのですよ。
命日を前に西郷のゆかりの地を巡ることにより、
大人はその生き様に思いをはせるとともに、郷土への誇りを思い起こし、
子どもたちは幕末の薩摩の歴史を学び、郷土愛が次代へと受け継がれていきます・・・
こう考えると、大変意義深いイベントとなっています。
とはいえ、けして敷居の高いものではありません!
予約不要で参加料不要!!
スタート時間にスタート地点に赴き、受付で登録さえすれば、誰でも参加できますよ!
それでは、いろは会メンバーの巡礼の跡を辿りましょう!
スタート地点:武西郷屋敷跡
スタート地点は2つから選べました。
1つは武町の「武西郷屋敷跡」、もう1つは加治屋町の「西郷隆盛誕生地」です。
1つは武町の「武西郷屋敷跡」、もう1つは加治屋町の「西郷隆盛誕生地」です。
我々は「武西郷屋敷跡」からスタートしましたが、なかなかの雰囲気です。
「武西郷屋敷跡」は、西郷隆盛の御屋敷の跡地で、現在は公園になっています。
西郷隆盛と菅実秀が座って向かい合う像が目印です。
この菅実秀、現在の山形県である庄内藩の家老でした。
戊辰戦争では薩摩藩士ら官軍と激しく戦った藩の1つだそうです。結果、庄内藩は官軍に敗れるのですが、その際に薩摩藩士らとった敗戦者に対する寛大な措置・誠実な対応に敬服し、後年西郷隆盛と徳の交わりを結んだとのことです。
現在、鹿児島市と鶴岡市は姉妹都市の盟約を結んでいますが、2人の交流ががそのきっかけともいわれています。
なお、「せごどんのえんこ」は、スタンプラリー方式になっています。下の画像が、今年の台紙でした。
ポイント①:座禅石
<座禅石>は国道3号線から護国神社に向けて入り、小坂をのぼったところにあります。
しかし、その前に、護国神社の広い境内でひとやすみです。
しかし、その前に、護国神社の広い境内でひとやすみです。
下の写真が「座禅石」です。ただの石に見えますが、そうではありません。
この座禅石、若き日の西郷が無参禅師に禅の道を学ぶため、毎朝通い、その上で座禅を組んでいたという、まことありがたい石なのです。
説明に熱が入りすぎている感は否めませんが、こういった地域やその歴史を愛し、
後進に伝えていくことに積極的な方が多くいらっしゃることは、実にすばらしいことです。
後進に伝えていくことに積極的な方が多くいらっしゃることは、実にすばらしいことです。
そこがまたおもしろくもありますよね。
各所で聞こえてくる説明のなかで、『西郷が主張したのは「征韓論」でなく「遣韓論」であった』という点が強調されている気がしました。
ポイント②:夏蔭城跡
2つ目のポイントは<夏蔭城跡>です。
あまり名前を聞かない夏蔭城ですが、それもそのはず、
現在は宅地開発のため「跡」の碑しか残っておりません。
夏蔭城は西南戦争末期の城山攻防における要害であったとのこと。なるほど、眺めがよろしゅうございます。
あまり名前を聞かない夏蔭城ですが、それもそのはず、
現在は宅地開発のため「跡」の碑しか残っておりません。
夏蔭城は西南戦争末期の城山攻防における要害であったとのこと。なるほど、眺めがよろしゅうございます。
このポイントで、ぐっと西郷の死が近づいた感があります。
行進を続ける我々にも、体力の消耗具合も手伝ってか、ほのかに悲壮感漂ってまいりました。
行進を続ける我々にも、体力の消耗具合も手伝ってか、ほのかに悲壮感漂ってまいりました。
ポイント③:城山本営跡
3つ目のポイントである<城山本営跡>は、鹿児島でも有数の観光地である城山展望台の程近くです。
「本営跡」とは、国内最後の内戦ともいわれる西南戦争の城山籠城の際のものです。
西郷は西南戦争にて、熊本城攻略に失敗したあと、各地で連戦のうえ、官軍の包囲網を突破し鹿児島は城山に帰り、最後の籠城戦の支度をしました。
時にして明治10年9月1日、籠城した薩軍は370人ほどだったそうです。
「本営跡」とは、国内最後の内戦ともいわれる西南戦争の城山籠城の際のものです。
西郷は西南戦争にて、熊本城攻略に失敗したあと、各地で連戦のうえ、官軍の包囲網を突破し鹿児島は城山に帰り、最後の籠城戦の支度をしました。
時にして明治10年9月1日、籠城した薩軍は370人ほどだったそうです。
ポイント④:南洲翁洞窟
展望台から市街地方向に坂を下っていくと、4つ目のポイント<南洲翁洞窟>に至ります。
城山籠城戦の折、西郷はこの洞窟で寝起きしたとのこと。
城山陥落前夜となる9月23日の夜には、6万の官軍に包囲されつつも、最後の宴が華やかに催されたようです。
城山籠城戦の折、西郷はこの洞窟で寝起きしたとのこと。
城山陥落前夜となる9月23日の夜には、6万の官軍に包囲されつつも、最後の宴が華やかに催されたようです。
また、そのような状況下でも、西郷は平然と碁を打っていたという肝っ玉伝説があります。
その様子をかたどった像もあるのですが、これはあくまで伝説であり、史実ではないようです。
その様子をかたどった像もあるのですが、これはあくまで伝説であり、史実ではないようです。
ポイント⑤:岩崎谷終焉地
道なりに進むと、5つ目のポイント<岩崎谷終焉地>に到達します。
その名の通り、力尽きた西郷が、部下の別府新八に介錯を命じ、その一生を終えた地です。
西郷の人生を追い、強行軍を展開してきた我々にも、「ついにこの段階に至ってしまったか」と、
妙な感慨がありました。
その名の通り、力尽きた西郷が、部下の別府新八に介錯を命じ、その一生を終えた地です。
西郷の人生を追い、強行軍を展開してきた我々にも、「ついにこの段階に至ってしまったか」と、
妙な感慨がありました。
ポイント⑥:南洲神社・西郷墓地
最後のポイントは、<南洲神社・南洲墓地>ということで、西郷のお墓参りで遠行をフィニッシュすることになります。
お彼岸ですし、その点においても良い開催日時設定であります。
この墓地には西郷や村田新八をはじめとする、西南戦争での薩軍戦死者等9000人が弔われています。
合同墓もあり、墓石自体は755基あるとのこと。ここまで並ぶと、なかなか壮観です。
示現流の稽古を体験する子どもたちの声に耳を傾けながら、西郷のお墓に手を合わせ、今後とも鹿児島を見守ってくださるようお願いし、長い道のりの結びとしました。
☆総括お彼岸ですし、その点においても良い開催日時設定であります。
この墓地には西郷や村田新八をはじめとする、西南戦争での薩軍戦死者等9000人が弔われています。
合同墓もあり、墓石自体は755基あるとのこと。ここまで並ぶと、なかなか壮観です。
示現流の稽古を体験する子どもたちの声に耳を傾けながら、西郷のお墓に手を合わせ、今後とも鹿児島を見守ってくださるようお願いし、長い道のりの結びとしました。
今回参加した「せごどんのえんこ」は、西郷の人生を追想しながら、秋の行楽としてベターな距離・コースのハイクを楽しめるイベントであり、とりわけ鹿児島人であれば、一度は参加してみる意義のあるものだといえるでしょう!
「遠行要素が濃すぎて、歴史要素が物足りない!」という方は、ゴール地点の<南洲神社・南洲墓地>敷地内にある「南洲顕彰館」にて展示物を堪能してもよいですし、加治屋町の「ふるさと考古歴史館」に足を延ばしてみてもよいかと思います!
なお、今年はスタンプラリーを制覇したシートを南洲顕彰館にて提示すると、豪華記念品を賜ることが出来ました!
豪華記念品とは何であったか…、それは参加してのお楽しみということに!!
豪華記念品とは何であったか…、それは参加してのお楽しみということに!!