2014年5月24日土曜日

ぶらりまちあるき 泉町編

5月のまちあるきは、もはや定番となりつつある観光ボランティアガイドを利用して、天文館近隣に位置する泉町周辺を歩きます。
今回、私たちが巡るコースは、「薩摩ぼっけもんの関西三都物語」。
幕末から明治にかけて活躍した、商才あふれる偉人たちの足跡を辿ります。

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じめさあ(持明院)

以前のまちあるきでも訪れた、じめさあの石像前からスタート!

薩摩辞書の碑

 

こちらは、後に明治政府の農政官僚となる、前田正名(後述)らが出版した薩摩版英和辞書の碑です。
正式な名称は「和訳英辞林」といいます。
彼らの渡欧留学の費用を捻出するために出版されたものですが、英語に不慣れであった当時の人々には大変重宝されたようです。
それにしても、辞書についての石碑とは珍しいですね。

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鶴丸城跡にある、黎明館へ。


城門の跡地や西南戦争の弾痕を眺めながら歩きます。

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七高生久遠の像 


 黎明館敷地内にたむろする3人の像は、かつてこの場所にあった第七高等学校造士館(現・鹿児島大学)の学生さんです。
名前の通り8番までしかないナンバースクールの1つであり、また、藩時代の学校の名(造士館)を冠する唯一の高等学校であった点から、当時の薩摩閥の権力と、薩摩に対する思いを垣間見ることができます。
大学全入時代と言われる今日とは異なり、当時の高等学校の学生さんはいわゆるエリートであり、地域の人々から敬意をこめて「七高さん」と呼ばれていたそうです。伊豆の踊子的な世界観ですね。
なお、石碑にある「北辰斜にさすところ」は鹿児島大学で歌い継がれている曲の一節です。大まかには、「北極星が低く斜めに見えるくらい七高が南にある」という意味だとか。かっこいいです。

天璋院 篤姫像


黎明館敷地内に、大河ドラマ「篤姫」放送後の平成22年に建立されました。除幕式には、島津家、徳川家、篤姫が養女となった京都近衛家の方々も出席されたそうです。
写真の「天璋院」の文字は、戊辰戦争の際に西郷隆盛らが率いる官軍へ宛てた、徳川家存続の嘆願の手紙に書かれた文字をもとに彫られています。
文字の筆勢から嘆願文に込められた強い思いを感じます。
鶴丸城内から何かを見据える視線の先には現在の鹿児島が見えているのだろうかと、少し身の引き締まるような、凛とした佇まいの銅像でした。

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ここから長田町方面へ。



薩摩義士の碑や西郷隆盛終焉の地を巡り、 五代友厚誕生地へ。


ここまでずいぶん歩きました。
ちょっとした山登りのようです。
五代友厚については、後ほど。

ここから来た道を戻り、長田中学校へ。

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琉球館跡

 
長田中学校の敷地内(グランドの辺り)に、かつて琉球館と称する琉球王国の出先機関が置かれていたそうです。校内にあるので、石碑の存在を知っている方はとても少ないのでは。
慶長14(1609)年、島津家第18代家久は琉球に兵を出し、琉球を薩摩藩の支配下に置きます。その後、琉球館(元は琉球仮屋)を毎年正月に琉球からやってくる使者の滞在場所とし、主に交易の連絡調整のために用いました。
そこでは琉球からの色々な産物を取り扱かい、藩に大きな利益をもたらしたそうで す。
ちなみに、大久保利通の父である大久保利世は琉球館附役を勤め、学識豊かな人だったといわれているそうです。

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ここからやっと、泉町方面へ向かいます。

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赤倉の跡

何度も歩いているのに全く気づかなかった。桜島桟橋通電停の近くの歩道には「赤倉の跡」と彫られた小さな石碑。
石碑の裏には、「ウイリアム ウイリスは明治2年(1869年)12月から8年間ここで多くの医学生を養成した。これが本県における西洋医学の始まりである。昭和38年3月鹿児島市教育委員会」と彫られています。
「赤倉」とは、英国人医師ウイリスのために建てた病院が、赤レンガ造りの洋館であったことからそう呼ばれていたそうです。
ウイリスは、治療のみならず妊産婦検診、温泉療法、健康・体力づくり、食糧・栄養問題や、上下水道完備の必要性の提言など予防医学・公衆衛生面でも大き く貢献しました。
また、医学教育では、石神良策、三田村一、高木兼寛(海軍軍医総監・慈恵会医科大学の創設者)、上村泉三、中山晋平(初代鹿児島県医師会長)ら300余名の有能な門下生を育てました。

 前田正名ゆかりの地


前田正名は鹿児島出身の明治時代の官僚であり農政家で、農業・在来産業を重視した殖産興業政策を推進した人物です。
19歳の時に前述の薩摩辞書を作成して販売し、留学資金を調達した苦学人だそうです。その辞書の販売価格は現在の価格で11万...とても高価な辞書ですね(笑)
山梨県知事に就任後は、山梨で葡萄や梨の栽培を定着させ、男性下着で有名なGUNZE(グンゼ)の創業者でもあるそうです。

一方で、前田は「失意の中でこの世を去ることとなった」と、歴史家で作家の加来耕三はエッセイで述べています。政治的に、彼は不遇の人でした。
殖産興業の調査、立案に力をつくすものの、財政再建方針をめぐって松方正義と対立、山梨県知事に左遷されます。このとき、前田は地方産業の振興、松方は紙幣整理と増税(=中央集権)を主張し、政界を二分する争いとなりました。
8か月後、前田は中央に戻り、地方振興に再び取り組みますが、今度は陸奥宗光との対立で実権を奪われます。それでも前田は農工商諸団体の組織化を説いて全国をまわり、茶業会、大日本農会、日本蚕糸会など最大11団体の会頭、監督に就任するなど、私的にできることは精力的にこなしたそうです。
加来は前田を「日本が帝国主義、中央主導の産業振興を強めていく中にあって、政府に対する一大敵国のような」存在であり、彼の死を「日本はもしかすれば可能であったかもしれない、地方重視・主導の殖産興業の方法論を、このとき完全に失ってしまった」と評しています。


加来の解釈の妥当性はさておき、ともすれば、近代日本の基礎を築くうえで中心的役割を果たしたと括ってしまいがちな薩摩藩士に対する私の認識の単純さを今回は思い知りました。
苦境や挫折、初志貫徹のような人間ドラマがみえて面白いし、明治の政策形成史(←たぶん、地方分権へ改めねばならないとされる現行制度の基礎は、このときできたものだと思う)に対する関心も出てきました。
今回、かなりマニアックなコースということでしたが、そのマニアックさに見合うだけの収穫を得られた気がします。

写真の碑は前田正名生誕地にあたる鹿児島市小川町(ホームセンターニシムタの目の前)にあります。

《文献》加来耕三、2014、「薩摩のイノベーター 第35回 もう一つの近代日本、殖産興業の可能性を握っていた前田正名」渕上印刷 リージョン編集部編『鹿児島ブランディング情報誌[リージョン]』35号(2014年春号)、26-29ページ。

五代友厚像

天文館から朝日通りを海沿いへ歩くと、右手に小さな公園が見えてきます。その公園内に立つのが、近代大阪経済の礎を築いた「五代友厚」の銅像です。
多くの英傑と共に倒幕を成し遂げた彼は、新政府においても外交官をはじめとする重役に登用されますが、早々と下野し、大阪の地で実業家としての道を歩みます。
しかし、当時の大阪は維新変動の煽りを受け、商都としての活気を失っていました。 
そこで彼は、大阪株式取引所(現・大阪証券取引所)や大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)を設置し、商工業の再興に努めます。
その功績から「大阪の恩人」とまで称された五代ですが、時代と共にその名は忘れ去られつつあります。
一方で、その生涯を後世へ伝えるため、映画化の話もあるようです。
これを機に、彼の名が再び日の目を見ることを楽しみにしていたいと思います。

石灯籠

街の中心にある「いづろ通」や「いづろ交差点」。この「いづろ」の由来は交差点にある石灯籠(いしどうろう)が訛って「いづろ」と呼ばれるようになったそうです。
この石灯籠は南林寺の参道に並んでいたものという説と、屋久島へ通う船の標識として波止場に置いてあったものという2つの説があるそうです。
今度交差点を通るときはこの石灯籠を探してみてはいかがでしょう。ちなみに1個ではありませんよ。

川崎正蔵翁誕生地 

川崎重工業の前身、川崎造船所の創始者である川崎正蔵の誕生地。
彼は早くから西洋型船を使った貿易に目をつけ、幕末期には畿内への物産品輸出により、薩摩藩に莫大な利益をもたらします。また、明治に入ってからは東京~琉球間の輸送航路を開設、琉球砂糖の輸入により、自身も巨利を博すことになります。
その後、同じく鹿児島出身である松方正義らの援助を受け、隅田川沿いの官有地に念願の造船所を開設します。これが川崎重工業の起源となり、現在まで脈々と続く、日本の重工業発展の礎となりました。
まさに船と共に生きた人生ですね。

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今回のまちあるきはここまで。
薩摩の偉人といえば、維新三傑の西郷や大久保をはじめとする、政に関わる人物が知られていますが、商の分野においても、新時代を切り開き、日本の近代化に大きく寄与した人々がいることを学びました。
まだまだ、掘り下げがいのある分野といえそうです。

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2014年4月5日土曜日

医福食農の連携を考える~まちあるき特別編~

4月のまちあるきは鹿児島市を飛び出し、大隅半島へ。
南大隅町にある「花の木農場」を視察します。

この農場では、障害のある方が農作業に携わりながら、社会参加や自立を目指しているとのこと。
視察を通して、農業や福祉などの連携について考えてみたいと思います。

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鹿児島市街から花の木農場までは、フェリーと車を使って2時間ほど。
車窓からは錦江湾を臨み、美しい景色が広がります。

視察まで時間の余裕があったので、少し寄り道をしてみました。

荒平天神

 菅原道真公が祀られた由緒ある神社です。
四方を海に囲まれ、島までは砂州の参道が続きます。
満潮時には渡ることができないようですが、海に浮かぶ鳥居と島の光景も絶景だとか。
寄り道にしては、大変贅沢な場所でございました。

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花の木農場


フェリー乗り場から1時間ほど車を走らせ、花の木農場に到着。

ここからは農場スタッフの方の説明を受けながら、農場内を見学していきます。

途中でヤギさんもこんにちは。

 約1時間の見学後、食事へ。

農場内で育てた農畜産物を、手ごろな価格で味わえます。
特に農園の豚肉を使ったトンカツは柔らかく、とてもジューシー。

 ごちそうさまでした。


食事後は理事長との意見交換会に臨み、様々なお話を聞くことができました。
最後に記念写真をパチリ。


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ここからは、参加者各人が視察の感想や農園内の見どころを紹介します。


花の木農場には、様々な芸術性にとむモニュメントが点在しています。スタッフと利用者の方々が制作されたものもあれば、県内各所でその作品を見かけるような高名な先生によるものもあり、園内を散策するだけでも、興味深く充実した時間を過ごせます。
独特な世界観に唸らせられること、間違いなしです!
観光客の受け入れ体制等の整備の余地もあり、また、新たなプロジェクトも進んでいるとのことで、これから観光的価値の更なる向上が期待されるところです!

この茶畑は花の木農場で農業に従事する方々が寝る間を惜しんで作り上げたものです。
障害を持った人に対する本当の支援とはどのようなものでしょうか。
お金を出すこと?優しく接すること?寄り添い側にいてあげること?
皆さんはどう考えますか?
私は、何か夢中になれることや一生懸命になれる場所を提供することだと感じました。
夢の中に出てくるぐらい一生懸命目の前のことに取り組める人間になりたいものです。

後日、某養護学校の先生に聞いたところ、鹿児島県内の一般企業への就職者は卒業生の1割満たないようです。花の木農場の敷地内に突如現れたオブジェ「大空へ」は福祉と農業の融合に力を注ぐ理事長の歩みと今後への思いが込められていました。
異なる分野でも、うまく反応しあえる点をもっと見つけてみたいです!!

農業と福祉の融合に先進的に取り組む花の木農場を視察させていただきました。
鹿児島市の政策に何か生かせることはないかと思いましたが、あまりの規模の大きさや年月をかけて整備されてきている歴史を踏まえると、簡単に取り入れることは難しいのかなというのが実感でした。
また、なぜか鹿児島市内を走っていた市電が2両展示されていました。農場という変化の乏しい場所に、全く関係のない市電を配置する懐の深さを感じさせられました。

フェンスの向こうは水耕栽培ゾーン、その名も「ナッパーランド」です。
水耕栽培でできた野菜は、調理がとってもラクで主婦に大人気。作れば作るほど売れるそうです!!
敷地内にはソーラーパネルが設置され、その電力で冬でも水温を一定に保つことができるそうです。
花の木農場は、大隅の休耕地を環境に配慮しながら活用していました。
そして、消費者のニーズをうまくキャッチした作物が栽培されていると感じました。


いろは会の農福連携WGチームに便乗して南大隅の花の木農場というところへ行ってきました。
社会福祉施設の利用者の受け皿を作るため理事の中村さんが35年前に農業法人を設立しており、茶、養豚のほか、豆腐やジェラートなどの加工、販売等をやっているとのこと。
行政にあれこれ求めるのではなく、むしろ行政から求められるようになるのが目標とのことで、考えてみると地域ビジネスなどでも上手くいっている所にはかなり共通しているなと思いました。


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おわりに


今回のまちあるきは、いつもと趣向の違うものになりましたが、大変有意義な時間を過ごすことができました。

利用者の方と農場内ですれ違いましたが、自身の仕事に誇りを持ち、笑顔で過ごしている姿がとても印象的でした。
農業と福祉の連携については様々な課題があるとは思いますが、そこに携わる方の一人一人が、自分らしく生きられること。 やはり、そこに本位を置いて考えなければならないと、強く思いました。

また、理事長のお話においては、状況を大局的に捉え、情熱を持って行動することの大切さを学びました。畑は違えども、それぞれが仕事に臨むうえで、大きな刺激になったことと思います。

この場を借りて、お礼申し上げます。ありがとうございました。


次回はいつものまちあるきに戻り、鹿児島市街地を探索します。お楽しみに。

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2014年3月15日土曜日

ふらり谷山ドライブツアー

春うららかな陽気に誘われ、ふらりとドライブに出かけたくなる季節になりました。
ということで、今回のまちあるきは鹿児島市街地南部の谷山地区を、車で周遊したいと思います。


谷山処理場

谷山処理場では谷山市街地や遠くは桜ヶ丘団地の汚水を処理しています。通常の家庭の管の太さは直径10cmだそうですが、段々太くなってこの谷山処理場に は165cmの管でつながっています。ポンプなどの機械で圧力をかけて運搬しているのかと思いましたが、自然流下で運ばれるそうです。
ただし、そうは言っても、流 れずに大きな塊になるものがあるので、流さないように気を付けてほしいと言われました。それは、油と長い髪で、油は冷えると固まり、それが髪の毛と絡んで 段々大きくなるそうです。ちょっと不気味です。
また、全く臭いは気になりませんでした。さすが日本の技術だと思いました。


 

七ツ島メガソーラー発電所

昨年11月より稼働を開始した、日本最大の太陽光発電所である「鹿児島七ツ島メガソーラー発電所」。年間約78,800MWhの電力を発電し、県内の電力需要の2.2%を賄える計算になります。
29万枚のパネルが整然と並ぶ様子は、まさに圧巻の一言!敷地の奥には錦江湾と桜島を望み、さながら自然と科学技術の融合した庭園のようです。
ちなみに、パネルを囲むフレームにはスリットが設けられ、雨で火山灰が流れ落ちるようになっています。全国各地で続々と太陽光発電所が建設されていますが、このような地域性がみられるのも鹿児島ならでは?なのかもしれません。


発電所の敷地は東京ドーム約27個分という広さ。外周を歩くと1時間半ほどかかるそうです。この広さの土地を整地するためにGPS搭載の車両を走らせ、なんと全敷地±2cmという高低差まで整地したそうです。
発電所に併設されている「鹿児島七ツ島ソーラー科学館」では地球環境問題や太陽光発電のしくみをビデオやクイズ形式を用いて、とても分かりやすく解説されています。子ども向けでもあり、夏休みなど親子で楽しく学ぶにはもってこいです。
科学館のつくりが、円形で2階の展望コーナーへつながる通路もぐるっと らせん状になっているため、列をなして行動するような小・中学校の遠足や学外学習にも適した、見学しやすい施設です。実際に発電所の外周を歩いてみたり、 バスで見学したりするのも敷地面積の大きさを実感できて良いかもしれませんね。

日本最大の太陽光発電所が鹿児島にあることを誇りに思います!昨年11月に稼働開始したばかりなので、これから多くの人に知ってもらい、いまの子どもたちが大人になった時に誰もが「行ったことある!」というような親しみのある発電所・科学館になることを願ってます!


平川動物公園

これから始まる動物たちとの出会いに、期待感を盛り上げてくれる、青空に映える鮮やかなゲート。このゲートに限らず、園内は花壇がきれいに整備されており、季節の花々が彩りを添えてくれる。
平川動物公園は、平成21年度から平成27年度にかけてリニューアル事業が行われている。入場料は、高校生以上が500円、小・中学生が100円。以前に比べれば値上がりしたが、展示内容や施設の質、そして、1日掛けても廻りきれないほどのボリュームを考えれば、十分安い。年間パスポートは、2回分の料金なので、年に3回行けば、元が取れる計算だ。
リニューアルの成果を見に、季節の変化を感じに、シーズンごとに1回くらい訪れてもよいかもしれない。


写真は、ビントロングという動物です。元々は金網で囲まれたケージのみで展示されていましたが、現在は木の上で生活するという本来の性質に合わせて、木の枝がたくさん入れてあります。また、給餌筒にロープが付いており、見学者が外から引っ張り、枝の上へ届けるという体験型の展示が行われています。
ビントロングをはじめとして、現在、動物園では「エンリッチメント」という動物の「幸せ」を大切にした環境づくりが重視されているそうです。このような環境をつくることで、動物の福祉を実現するとともに、動物本来の姿を見学者に提供することにつながります。
「レジャーや憩いの場としてだけではなく、教育や環境への取り組み等、動物園を多様な場面で生かし、その存在意義を考えること必要である」という、案内してくださった飼育員の方のお話がとても印象に残りました。



こちらも体験型や参加型の取り組みに力を入れている平川動物公園での一幕です。え?どっかで見たことある?気のせいでしょう。こちらはイワトビペンギンではなく、フンボルトペンギンです。ちょっと似ているだけです。
ただ、遠目に展示された動物を見るだけではなく、間近で、動物本来の動きや習性を目にするという経験は、子どもの成長の上でもとても貴重で重要なものとなるはずです。
決して、利益追求だけを目的としない、社会の発展に大いに意味のあるサービスへの理解とそのサービスを提供する場の維持・発展を社会全体で支援する気運が高まってほしいですね。


 
今回の経路はこちら↓


2014年1月25日土曜日

ぶらりまち歩き 天文館編

今回は、鹿児島ぶらりまち歩きの
“よかおごじょ”のわくわく天文館まち歩き!コースに参加しました。
天文館は中央駅エリアと人気を二分する鹿児島の繁華街ですが、
今回は街中に残る歴史の移り変わりをたどりました!

中央公民館

















昭和2年に鹿児島市公会堂として開館しました。
戦争による被害が多かった本市では貴重な古い建物ですが、やはり戦時中は爆弾が落とされたそうです。
しかし、内部では火災が発生したものの、外側は無事だったそうで、修理・改修をしながら使用され、平成17年には国の登録有形文化財に指定されました。
平成24年から1年ほどかけて行われた改修工事により、外観はそのまま、エレベーター設置されるなど設備がよくなり、内部はきれいになり、さらに使いやすくなりました。
利便性・実用性と歴史的・文化的価値が両立する、魅力溢れる公民館です。 

西郷銅像



















鹿児島のシンボルといえばこちらの西郷さんですが、意外とじっくりと眺めたことはなかったように思います。東京の西郷さんが私たちの2倍の身長であるのに対し、こちらは3倍だそうです。
銅像が立っている基礎石には、根占から運ばれた石が使われています。また、築山の中に立つ銅像は珍しく、背景の城山と一体となり、遠くから見ると山の緑の中に西郷像が立っているように見えるよう工夫されているそうです。
私たちにとってもっとも身近な西郷さんでしたが、初めて知ったことがたくさんありました。緑が美しくなる季節を楽しみに待ちたいと思います。


























西郷銅像の道路向かいの記念撮影スポットに置かれたお犬様(愛犬ツン)。
一昔前は無かった気がしますが、いい味出してます(笑)
なんと、休日にだけお目見えするそうです。ぜひ一緒に写真をとってください!

探勝園
























 照国神社横の三公像の一つ、島津斉彬の銅像ゎ大正6年に建立。斉彬公ゎ造船、製鉄、紡績、ガラス等さまざまな事業に取り組みましたが、外の技術をそのまま 運用するのでゎなく、今まである自分たちの技術の中に新しいものを取り込み、自分たちのモノにしてから運営していったからこそ次世代にも残る薩摩力が出来 たようです。その姿勢ゎ今の私たちにも通じることですね!

護国神社頓宮



















照国神社の北東、照国大明神こと島津斉彬像と探勝園の間に、味のある風合いの社が佇んでおります。
なんとそこには「護国神社」の表札が。
初詣の時期には照国神社と1,2を争う集客力のある護国神社。
現在は草牟田地区にあるのですが、かつてはここに鎮座していたとのことです。
護国の名のとおり、国事に殉じた英霊を祭った神社なわけですが、時代とともに場所と名前が変わり、祀られる神様の現世での呼び名まで変わってきました(殉職された自衛官・警察官・消防士等が祭られています)。
当然といえば当然なのですが、神社に歴史あり、と嘆息するばかりです。
なお、お隣の照国神社の場所にも、廃仏毀釈の前は南泉院(現在は花尾町にあります)があったとか。
持論ですが、神社が神社らしくあるためには、あわただしい人間の営みから隔絶した、恒久性を感じさせる穏やかさと、同時に少し張り詰めた空気を具えている必要があると思います。「凛として変わらない感じ」が、神社の聖性の肝なわけです。
実は結構な変化変遷の経緯があり、けして恒久的であったわけでないのに、それを礼拝者に感じさせない神社たち(そして、気づかない私)。いったい何がそうさせるのか、実に不思議なものです。

照国神社鳥居


















 この写真の中の小さい黒丸を見つけられますか。
 この鳥居は照国神社の鳥居で、平成19年に改修した際に、わざと付けられた印だそうです。昭和4年9月に建てられ、昭和20年の鹿児島市一帯が焼け野原 になった終戦末期の一連の空襲で機銃掃射を浴びた弾痕の跡(直径、深さとも約10センチ)を、戦争の記憶をとどめる証拠として残されてきました。しかし、 時の経過とともに、塗装部分が浮き上がって落下する危険性があったため、埋め戻すことになったそうですが、せめてここに弾痕の跡があったことを残そうと印 をつけたそうです。

照国神社交差点






















照国神社前の交差点は、国道3号線、10号線、225号線の3本の国道が交わる珍しい交差点です。中央公園側に、それを示すオブジェがあります。普段は気付かずに通り過ぎてましたが、ふとしたところに珍しいものはあるんですね。

ステンドグラス




















 天文館のメイン通りから一本外れた筋のアーケード内。
普段は前しか見て歩かないところだが、ふと上を見上げるとそこにはきれいなステンドグラスが。
1549年、フランシスコ=ザビエルがキリスト教の布教のために鹿児島を訪れた。
その歴史がなんとも美しく描画されたステンドグラスは一見の価値あり。

天文館一帯

















天文館一帯は武家社会であった江戸時代まではそれぞれ3,000坪くらいからなる4つの大きな武家屋敷で占められたそうです。
現在の多数のお店がひしめく状態からは想像できません。
しかし、明治維新によって武家社会から明治の近代政府に変わったことから、大きな武家屋敷も縮小、分譲されていき、今のような商業区画になっていたそうです。

 ゴンザ通り GONZA st.


















世界で初めて露日辞典を作った青年ゴンザの名をつけた通りです。
1728年、薩摩藩主の命で鹿児島から大阪に向けて17人の乗組員を乗せた船が出港。
しかし、途中嵐に遭い6か月も漂流、たどり着いた先はなんとロシア領カムチャッカ半島!
生き残った乗組員はロシアの首都ペテルブルグへ送られました。
そのうちの一人がゴンザ!
ペテルブルグで女帝アンナに謁見し、気に入られたゴンザは、日本語学校の教師となりました。
そして彼は世界で初めて露日辞典を作ったのです。
(実際は日本語というより鹿児島弁が満載の露薩辞典だったそうです☆)



山形屋
















県民が愛してやまないデパート山形屋。
その歴史は古く、創業は1751年、なんと263年前です!!
店名の由来は、創業者が山形県の呉服商人であったためだそう。
写真はおなじみの「山形屋名物焼きそば」。
7階のファミリーレストランで食べられます。
右がレギュラーサイズ、左がミニです。
揚げためんに、野菜たっぷりのあん、お酢をかけていただきます。
年間18万食の注文があり、県民の味として愛されています。
「七草会」は、百貨店友の会の草分け。
満会特典として、以前は歌舞伎の観劇券が配られることもあったそう。
「鹿児島市建築文化賞」を受賞した外観も、街並みと調和して素敵です。



今回は2時間をかけて天文館の歴史の跡をいろいろ案内していただきましたが、ここには書ききれないくらい、また今回は巡りきれなかったくらい色々な秘密があるようです。
鹿児島ぶらりまち歩きでは、市民客か外来客か、またガイドさんによってもコースが微妙にかわってくるようです。
今回は市民客としてまち歩きをして、普段利用する天文館がぐっと思い入れ深い場所になったと思います!